여주곤충박물관・韓国ヨジュ昆虫博物館から

今宵のお客様はヨジュ(驪州 (여주/ヨジュ))市にあるヨジュ昆虫博物館から来られた、

父兄の方々と子供さん達総勢28名の一行です。

明日は桐生市新里町にある群馬県立「ぐんま昆虫の森」を見学して夕方には帰国するとの事です。

 

 

 

 

 

赤城山 南麓 宮城地区  ●商工まえばし寄稿文 「赤城神社参道松並木と山つつじ群」

商工まえばしに寄稿した原稿です。

 

赤城神社参道松並木と山つつじ群

参道松並木は慶長17年(1612年)、大前田村川東に住む彦兵衛と言う方が新田義貞の居城が有った太田の金山城址(江戸時代金山で採れた松茸を将軍家に献上していた松の名所)から苗を取り寄せ寄進したと記録されています。

松の根元に群生しているツツジは自生の山ツツジです。江戸時代、松並木の敷地は地元数ケ村の入会地として風倒木や枯枝、松葉は大切な薪として村人に依って管理されていました。ツツジも大半は数年おきに薪として刈り取られていました。自生の山ツツジは全山至る所に生い茂っておりますので特別に注視される事も無かったのです。松並木では下草や雑木が生い茂ると松葉かきに支障が出るからです。ただ所々に大きく枝を広げたツツジが春には美しい花を咲かせ、参拝人や遊山の人の目を和ませていました。

昭和15年(皇紀2600年記念行事)から赤城神社の官位を上げようと昇格運動が起こり、神社整備の機運が盛り上がり出します。(敗戦直前に国幣中社の内示あり)またその頃から赤城南面開発の機運も興り有志により観光開発が行はれます。当然ツツジにも熱い目が注がれる様になりました。ツツジ以外の灌木を刈り取りツツジだけを保護する様になります。戦争が激しくなると並木の松も切り倒されて、松根油にされると言う受難の時代になります、勿論ツツジも燃料として刈り取られる運命となりました。

ただ並木の途中(現在の353と16号の交わる辺り)に斎藤さんと言う方が住んでおり、

ツツジを大事に守って育てていたと伝えられています。お蔭で周辺のツツジは大きなまま現存しています。里から上がって来る人にとってそこが休憩処にもなっていました。

そして敗戦後の昭和30年代からまた全国津々浦々で観光開発が盛んになり出します。

その頃、北区王子出身の衆議院議員、鈴木仙八さんと言う方が度々赤城温泉に来遊しておりました。そして並木のツツジに魅せられ、赤城山のツツジを、是非、区内にある飛鳥山公園に植えたいと奔走します。

実は飛鳥山公園内(将軍吉宗によって作られた江戸の桜の名所)には富士見村出身の老農船津伝次平翁の碑が赤城山に向いて建てられております(明治33年建碑)。

昭和38年、旧富士見村の協力により赤城山南麓のツツジが公園内に移植されます。

5月5日は、三夜沢赤城神社の例大祭、5月8日は赤城山の山開き、それに合わせる様に参道の山ツツジが咲き出します。そして段々と山頂に向かって咲いて行きます。

荒山高原の山ツツジや新坂平のレンゲツツジが有名です。

種類も豊富・・・標高の高い所では最初にアカヤシオやムラサキヤシオ、シロヤシオから咲き出します。

ドウダン、サラサドウダン、コメツツジ・・・そして最後は馬ツツジ(レンゲツツジ)。

まるで赤城山の語源を彷彿とさせるアカキヤマに変身するが如く全山を覆い尽くす様に咲いています。宮司さんのお母さんが、昔、三夜沢の子供達は学校の行き帰りに花をもぎ取り、そのほんのり甘い蜜を吸ったり、また花を食べて、酸っぱさを味わいながら通っていたと話して下さいました。

赤城山 南麓 宮城地区 ●よもやま話「消えつつある正月行事」

 

 

●2007年01月08日

●よもやま話「消えつつある正月行事」

 いよいよ正月気分も過ぎ…しかし最近は、なんか一年中正月の様で、それぞれの節気ごとの気分転換が出来ないと思いませんか??
 そう思うのは私だけ…かも、しれませんが!!
 昔は、隣近所(隣保班)19軒、全てを年始の挨拶回り…狭い路地裏で十九軒の人達に何回出会った事だろう…皆、同じ事をしている訳だから。それが終わると、区全体での新年会、会場の金剛寺へ、しかし公民館が出来たのを機会にそちらに移動。最初は、「起立・(南東の皇居を向き)・きょうつけ!!皇居に対して・礼!!・直れ!!」っと言う勇まし掛け声の皇居遙拝から式が始まった。皆、軍隊仕込みの気合いの入った掛け声であった様に記憶している。特に最近亡くなった石橋元助役の掛け声が、今でも耳の奥に残っている。
 門の門松も森林保護の為、貼り紙の門松に変わり、隣近所の年始回りも、区で一同に会すのだから止めようと中止になり…時代の変化と共に全てが様変わり…これも仕方の無い事…かも知れません。元旦はそんな事で大忙しだった。
 二日は、馬場の馬頭観音へお参り??それは昔の事で今の人は誰も知らないし、行く人も居ない。初市??これも、近年はスーパーで済ませる様になりまして…。…正月の初仕事??田植えの段取り??日取り??もうそんな事考える家なんて皆無。
 三日は、竜蔵寺の青柳大師、これもこの近在の人は余り行かない様だ。当家では、前新宅・東前のおばさんが毎年参詣していたので、頼んでいた様に記憶している。おばさん夫婦は我が祖父の仲人っ子であり、実家は富士見村の原之郷、老農・船津伝次平の血を引く方であった。
 四日は、昔は「ナベカリ」と称し、初嫁が実家に里帰り…日帰り、御飯を持って親に食べさせる??遠くても日帰り??嫁に行った覚悟を決めさせる、等々の理由が、しかし、もうこんな事やっている家あるだろうか??。
 正月四日は女と坊主の年始回り??これも、昔・昔の話しで、もう誰も知らない筈。その他、御棚サガシと称して、三ガ日に供えた物を、この日に下げた。
 五日は、この日までを正月と称すると…「ゴカンニチ」と言う所もある。この日を仕事始めとしている所もある。
 六日は、山始めで、供え餅を持って十二様へ…今は十二様の所在すら知らない人が大半である。
 七日は、七草がゆ、四日に下げた物を七草がゆの中に入れ、無病息災を祈りながら食べるのである。