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赤城山 南麓 宮城地区 ●よもやま話「柏倉南端の古民家」

 

2007年02月24日

●よもやま話「柏倉南端の古民家」

  鼻毛石町の北爪家を訪問した後、柏倉町に向かった。荒砥川に掛かる神沢橋を渡り、左に折れ、堀の内・西屋敷の北爪元二家を訪ねる。高い所から遠望すると、この場所が掘りに囲まれた屋敷地である事が良く分かる。六本木一族の砦跡との事である。
北爪元二家    堀の内、西屋敷等の名が往時を偲ばせている。この家は明治時代に建てられたが、これを建てた大工は箱田のかっちゃんち(家)や三夜沢でも家を建てたと聞いているとの話しを元二さんがして下さった。
  うちは、鼻毛石の北爪の分家で、柏倉の北爪とは関係無い。初代は元禄7年に亡くなっているとの事である。昭和18年頃、防空壕を掘る為に裏山を掘ったら、石に囲まれた所から、箕(ミ)に一杯の古銭が出て来たとの話しを聞かせて貰った。この北爪家、その隣の六本木家、その隣の阿久沢家全てを含めた敷地が砦の敷地であった。左隣の阿久沢家の屋敷は元々、六本木屋敷で、鼻毛石在住の六本木剛さんの先祖が住んでいた。当時の石垣が江戸時代の六本木家の家格の名残を今に伝えている。

  六本木家の石垣上に建てられていた長屋門は幾多の変遷を経て、現在、苗ヶ島に移築(近年大幅に改修され、往時の名残無し)されている。元二家から出土した古銭は、六本木氏の先祖が貯えた物であろう。ただ、戦国期の古銭は鐚銭(ビタセン)と称し粗悪銭であり、現在もあまり価値の無い物である。ビタとは金へんに悪と書く通り、悪銭と言う意味であり、ビタ一文払えないとの語源はここから来ていると言う、主に中国大陸からの輸入銭である。

前原要家   次ぎに、近くにある、前原要家を訪問した。前原さんにお聞きしたら、140年前頃建てられたとの事と、前原健一さんの新宅であるとのお答えであった。
  桑原先生の報告書には、「言い伝えによると、天保14年に生まれた先祖の弥一郎が七歳の時に建てた」との事にて、嘉永2〜3年頃の建築であろうと記されていた。