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苗ケ島村領主・佐野藩主 堀田摂津守様・弘化2年・領地内巡視

我が苗ケ島村「上州勢多郡苗ケ島村」は文化3年より明治4年まで佐野藩領で有った。天正18年~元和3年は大胡城主牧野駿河守様。

元和4年~寛延2年は前橋城主酒井雅樂守、寛延2年~明和4年前橋藩主松平大和守、同年武州川越へ移城、天明7年まで幕府代官前沢藤十郎支配。天明7年〜寛政4年まで代官山中太郎右衛門支配、同年より文化3年まで代官吉川栄左衛門支配。

同年文化3年より明治4年まで野州佐野城主堀田摂津守領地。

明治5年より群馬県権令青山貞、同年より熊谷県令河瀬秀治・・・そして群馬県へ

 

文化3年11月、、百姓家数129軒、人別445人、内男251人、女194人

 

弘化2年、堀田摂津守様は領内巡視の為に苗ケ島村に来られました。

この時の記録は苗ケ島村の名主与次衛等により記録され群馬県史に掲載されております。

その折には赤城山登山をなされ我が家が経営する宿を本陣として一泊致しております。

謝礼に雲竜の掛軸、蝦夷地を描いた絵図を賜っております。

しかし、この2点については昭和41年の火災にて焼失してしまっております。

 

前回掲載した、文化3年に佐野藩堀田家の条目が記された高札が、苗ケ島村の高札場に掲載され、それが明治4年まで掲げられていました。それと、その後の太政官布告・・・それを当時の名主が外し家に保管していたのです。

明治22年、新たに明治政府により町村施行令が発令され、近隣7つの村「苗ケ島村・馬場村・鼻毛石村・柏倉村・市之関村・三夜沢村大前田村が集まり、宮城村が誕生し、旧村は大字となりました。

初代村長は当家の東宮六郎治が就任いたしました(息子、孫も三代に亘り村長職を務めます)。

二代村長は、文化3年当時の名主与次衛の子孫、三代村長も名主を務めた久右衛門の子孫、四代村長まで我が苗ケ島出身者が村長を務めています。幕末〜明治2年当時の名主佐兵衛の子孫も村長を務め、その弟も大前田へ婿に行き兄弟で村長を務めています。