これじゃあ体調を崩しても・・・
昨日は自治会の総会だったのですが何となく忙しく出席出来ませんでした。
午後、自治会長かな何故出席しなかったのか電話が・・・総会の中で地熱開発の質問が出たとの事、私がいれば説明出来たのにとの事でした。
まあ私でなくとも会長自身が東電の説明を受けているのだからと・・・概略説明は出来たとは言っていました。
今度の日曜日は隣保班の引き譲りと自治会の引き譲りの会が・・・まだまだ用事が続きそうです。
お寺の決算書類も未だ手元に来ていない物があるので、その1枚を待っている状態です。
それが揃えば何とか今週中には役員に配布する事が出来るでしょう。
]]>昭和7年に亡くなった東宮鐵男の父親東宮六郎治翁が広瀬賢信管長猊下から灌頂を受けたのは大正11年なのでそれから102年振りに、私が灌頂を受ける栄誉に・・・・
]]>これは今から13年前に起きた東日本大震災の被災者を弔う為に造立されました。
震災1年後に浄財を集めて造られました、実はこの山門から数百メートル南の道の一帯を「おびんづる」とよんでおります。
我が家に伝わる伝承に今を去る400数十年前に大胡城下に通う折にここに有ったおびんづるの御堂に泊めてもらっていたと・・・そして後のこの近くに屋敷を構えたと伝えられております。
その後、明治になり廃仏毀釈の波が押し寄せ賓頭盧様本体はお寺の敷地に移設されました。昭和に入り、本体は本堂裏の築山が新設された折に築山上に飾られる様になりました。
13年の震災以降、このお賓頭盧様を元の場所に移設しようと仲間と計画しました、その後の農地構造改革により旧跡地が不明確になってしまったりした事情によりお寺の敷地内への移動と地震被災者を弔う為に新し「おびんづる」像を造立した次第です。
それから12年、この時期の日曜日に金剛寺住職志田洋遠導師元で慰霊祭を行っております。
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まあしかし、積雪量が10センチ程度でしたので安堵いたしました。
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最初は温泉のモニタリング調査をなさる会社の方々が・・・次は千葉大大学院理学研究院・地球科学研究部門の学生さん2人が温泉水の採取に・・・次は前橋署のお巡りさんが・・・次はミージャ君のお仲間が・・・その中にはにミス・ノールウエイが・・・
まあ忙し一日でした。
千葉大の学生さんを帯同して来られた先生は前橋出身との事で驚きました。「Dr・MR Hitoshi TOMARU」は
私の娘と同世代の方で、感じがとても良く、これから益々活躍なされる様にお見受けしました、お会い出来て良かったです!
今年もまた9月ごろから地熱調査が再開されますので、無知な私としては多方面の先生方のご意見お助力を・・・
16時過ぎ頃から白い物がチラチラと・・・・
室沢から眺めた赤城山
]]>訳10センチほどでした。
6時半ごろから通路の雪かきを・・・空からは霧雨程度の・・・菅笠をかぶりなが40分程度作業をやりモーニングコーヒーを・・・
]]>谷間なので風は大丈夫でしょう?と言われるが谷間の下の方から上に向かって噴き上げる感じでそりゃあ凄まじい・・・吹き上がったり谷間の両壁の間をクルリと舞ったりする・・・ただ上から下に一方的に吹き下ったり、吹き上がったりするだけなら良いと思うのだが・・・いやいや恐ろしい!!
]]>そんな事で画像を載せる事が・・・お寿司屋さん・ベトナム料理・宴会料理のお店・お蕎麦屋さん等々・・・
実はこのところ女房殿がお出掛けで・・・女房は満開の河津桜・・・熱川のプリンスホテルで豪華な和食料理に舌づつみ・・・だったので・・・
我が家で一人温泉三昧・・・
]]>最近、お悔やみ事が多くなって来ました。
斎場で数人の同級生に会いましたが、やはり77歳となると・・・・黄泉の国の入口に立っているのを実感致しました。
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以前は一か所で調達出来たのですが今は数か所回らないと揃わないので大変です。
久し振りにお昼はベトナム料理のお店を・・・・
牛肉入りのホォー定食を食べました。さっぱりした味なので大好きです。
お店のカウンターの上にベトナム料理の「ちまき」がBánh chưng (バインチュン)が沢山並べて有ったので・・・あっ!旧正月だと気が付きました。
明後日から旧正月そうで・・・一つ(1000円)だったので買い友達の家に持って行きました。
]]>実は昨年6月に前檀徒総代・桜井敏道氏より、病気療養中なので退任したいとの申し出が御座いました。
他に2名の方からも辞任要請が有りました。
責任役員5名中、3名の退任となりましたので、昨日迄。私が惣代代行を務めておりました。
新任責任役員は真言宗豊山派本山宗務所への届け出が必要になりますので、実印と印鑑登録証明書が必要となります。
その手続き等で本堂に集まり署名・捺印等の手続を致しました。
総代は就任した5名の責任役員の中から互選により選任されます。
その後、近くのお店(きたづめ・粕川町室沢)で会費を出し合い会食を致しました。
残念ながら住職以外の五名全員が下戸でして、ホットウーロン茶での会食となり、住職がお酒1本とビール1本を召し上がったのみでした。
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昨夜、雪かきをしましたが、今朝も通路の雪かきをしました。
お陰でたっぷりと汗をかきました・・・雪かきスコップで除雪していたので今になって両腕がしびれています。
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対立候補を支持していた現実・・・前回の保守同士の争い等が根底に・・・対立候補が若き女性であり爽やかな感じを醸し革新色を消して・・・それに元副市長の汚職問題・美術館問題・自民党の裏金問題・・・3期12年のマンネリ化等が現職の支持離れに繋がり・・・
どんなに良い政治家でも長くやると飽きられると・・・当落は政治家の宿命かな・・・
永らくご苦労様でした!
この所、私の身の回りでも、次々とガックリする事が起き続けていますので・・・
あともう少しすると・・・桜のシーズンが到来・・・開花と共に良い方向に変わって欲しいと願っております。
自宅築山のソメイヨシノ桜(東宮六郎治・明治32年植栽)
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軽トラに積み込み捨てていましたが、何度運んでも尽きぬ位あります。
ここもまだ終わっていませんが、同じ様なところが数か所有りますので・・・ウンザリ・・・・
なんせ周りは全て国有林、その中にポツンとゴマ粒の様な民地、樹木の99%以上は落葉樹・・・その葉の全てが落ちるのだから・・・
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途中、西の方向を眺めたら夕焼けがとても綺麗でした。
写真中央左の山並みが日本アルプスです右端が浅間
(自宅周辺・おびんずると称する地点からの眺め)
焼肉の後、ラーメンで
出席者8人は皆んなOOOなのでNHKの大河ドラマの・・・7時40分にはお開きに
帰路、19時時50分頃、進行方向右側の山並みの上に月が…写真より綺麗でしたがスマホ写真では・・・
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豊山太鼓「千響」
太鼓奏者・田代誠・岩田龍誠’(薬師寺副住職)
バイオリン奏者・真言宗豊山派 中荘山 満藏院 副住職 木村恵見( 愛知県稲沢市)
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午後の天気予報では日光方面に大雪警報が出たと伝えておりましたので少し心配です。
今晩降るのかな?
それにしても冷えて寒いです。
今日は数年前から室内電話が使えない所があり、何とかしなければと色々思案していましたが・・・
実はその道のプロの仲間がおるのですが、コロナ前に病に倒れ仕事が出来ない状態に陥り、相談も出来ずに今日に至っております。
ネット検索をしたらスマホで対応出来る装置が有ると知り検討を始めたのですが・・・
もしかすると数年前に改装した場所にあったBOX内の配線等を切断した・・・??のが原因・・・切断した記憶は薄れているが?・・・と気付き・・・コメリに行き部品を購入し切断線を結合する作業をやっております・・・・さてどうなるかな???
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お昼はモールで食べました。
私はこの焼肉セットを
美味しかったです!
女房は歯の具合が・・・うどんセットでした。
この後、KS電気へ・・・数日前にプリンターの製品名・機種番号を確認してインクを購入したのですが、セット出来なかったので、その事の相談やら開封してない品物を持参しカウンターへ・・・違う製品に変えて貰い、差額のお金を払い万事解決。
その後、知人宅へ・・・・
]]>まあこんな感じの一日だったので、片付け作業と過日手に入れた「黒柿の和タンス」の修理をやっていました。
タンス上段の箱枠の部分が左右に数センチ開いてしまい観音開きの戸が上手く閉まらなくなってしまっていました。
タンス幅90センチを締めるハタは持っていないので、車のジャッキを応用して締めてみました。
完璧には元に戻せませんでしたが何とかなりました。
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知人の家に飾られていたツツジ❓・・・サツキ❓ 余りにも綺麗な花だったのでパチリと!
どんどん改良され新品種に変貌するので、何が何だか分かりませんが葉はそのままですし八重の花の形は・・・でも淡い花の色は何とも言えぬ美しさが醸し出されウットリと・・・乙女の輝き・・・
]]>余り降らないで欲しいのですが・・・
4日前は17〜8センチでしたが今回は・・・・
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午前中、一度軽トラで下界に下りたのですが、グレーダーで除雪した跡が凍った氷上の様になっており滑って一回転・・・・
危ないので引き返して家で過ごす事に・・・・
明日は薬が切れるので下界に下りなければならないが・・・・
数日前に手に入れた裸像ですが、これを見た女房に烈火の如く怒られてしまいました・・・・
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朝6時に雪かきをしましたが、3時間後には雪かきをした部分が見えなくなっていました。
現在の積雪量は17センチです。
]]>Bicarbonate spring.
Welcome to the inn with over 300 years of tradition.
Filled with books, antiques and exotic items like no other place.
Makes you wonder, “Are we in Japan? What years is it now?”.
Relax in ther 100% hot spring and feel the nostalgia!
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この数年、庭掃除をかまけていたので植木の徒長枝が伸び過ぎ庭がジャングル状態になってしまっています。
昨年暮れから伸びた枝をチェンソーで切っていますが余りにも多くの植木が有り過ぎ作業も中々前に進みません。
これから暇になるので春先までに何とかしようと考えております。
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その結果、先月5日に行われた出湯量より6L増えている事が分かりました。
それから、昼頃迄出ていた炭酸ガスは夕方にはピタリと止まってしまいました。
地震以降から出だしたガスが今日、ピタリと止まりましたが、こんなに短期間で止まるのは初めての事です。さて増えた湯量が元に戻るのは?・・・
何れにしても能登方面の地震でこの様に当温泉に変化が起きた事は・・・???・・・無知な私には・・・
今日の赤城山です
中央に屹ている荒山から右に向かって伸びる尾根の裏側に断層が走っています。
ですから右側の中央木々の裏側から荒山と右側の地蔵岳の中央(その周辺を地熱調査しています)あを通り片品〜谷川岳〜新潟方面へ
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今を去る1200年前の弘仁9年(西暦818年)、藪塚周辺を震源域?(太田断層)(大久保断層)と考えられる大地震が起きました。
菅原道真編纂「類聚国史」7月の頁に「この月、相模。武蔵、常陸、上野、下野等の国、地震う。山崩れ谷埋まること数里なり、圧死する百姓、勝げて計う可からず」・・・
如聞、「上野国等の境、地震災を為し、水潦、相200年前の大地震が赤城山・赤城温泉を湧出させた!「弘仁大地震西暦818年」仍、人物凋損す・・・・」
「山が崩れ谷を数里にわたって埋めた、圧死した人々がどれほどいたか計り知れない」
と伝えている。この時の地震のマグニチュードは阪神大震災と同じ7.9程度と考えられています。この時の地震により赤城山に向け山崩れが起きました、これは地下で上下に動く断裂が起き片側が持ち上がり片側に崩落が起きたと考えられます。
その結果、その断裂から温泉が染み出して来たのだそうです。
ですから赤城温泉周辺は溶岩の絶壁が至る所に表れていますが、この時の地震で起きた断裂の断面だそうです。赤城温泉の裏山のどこかに深い断裂があり、そこから流れ出ていると角田先生は仰っておりました。
赤城山の湖畔周辺を大洞と称しています。平安初期大同年間に寺院が建立されたので、その地を大洞と称する様になったと伝えられていますが、赤城山周辺の寺社の縁起にも大同年間と伝えられているものがあります。
もし、大同年間に建てられた寺院が有ったとすれば、恐らく壊滅的被害を受けた事でしょう。上野国分寺は西暦750年頃に完成されたと推定されています。
そして、この大地震により甚大な被害を受け、のちに修復された痕跡が遺蹟調査により判明しております。
(渋川高校〜東京大学〜埼玉大学教授〜)
角田先生から頂戴した資料です。
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最初は1日から出だし一昨日、昨日、今日と増えている。
この方向からの地震では無かったガスの湧出である・・・この辺りを通る断層・柏崎〜銚子構造線が関係している・・・?
来週、地熱開発に関わる温泉モニタリング計測が行われるので何らか分かるかも知れな。。
]]>長女は仕事が始まるので昨夕帰京。
孫達と一緒に長女をJR駒形駅へ送る…途中・・・モスバーガーへ立ち寄り・・・次男孫がジャンクフードしか食べないので・・・
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何とかしめ縄をいくつか作り昨日飾る事が出来安堵しました。
いつまで続けられるのか?・・・自宅にある仏壇の前で御先祖様の位牌に語り掛けて来ました。
徳川政権成立前後に故郷の地を離れ、この地に移住して既に400年余、その時々の世の中の激変に翻弄されながら、今日に至っております。現今の我が家も今まさに・・・敗戦の農地解放による没落、再起に掛けての事業の失敗、残された選択は・・・温泉業の再開・・・資金難に陥い、東武鉄道に売却・・・火災・・・資金難による存亡の危機は続き・・・まあしかし、東武鉄道からの買戻し再生に向けての奮闘・・・バルブの崩壊による債権売却・・・半年以内に買戻し今に至っておりますが・・・
ここに来て後継者不在と言う・・・
しかし、過去を探ると、明治初年、あとを継いだ六郎治翁は二十歳前に48歳の両親に一夜で死別・・・里村住民との秣場争議(元禄6年、幕府による裁定書あり、この頃より度々・・・)により起こされた、旅館建物火災は明治18年迄、実に7回に及んだが、その全てが放火であった。それに起因する再建等による借財は波志江村(現伊勢崎市)の矢内家だけで2千数百両、小暮村(前橋市富士見)の須田家1500両、その他・・・
明治後、妻に迎えた相生村天王宿(現桐生市)藍原家(横浜開港により織物業で財をなす)から迎えた妻(東宮鐵男母親)の実家からの融資により借財の返済、再生・・・宮城村創立と同時に初代村長を歴任・・・
そんな没落、再生が江戸時代初期から延々と・・・それ以前の戦国の世でも・・・(小田原の北条に組した為に敗戦後、家督の継承を許されず、弟に家督を譲り、新天地を求め苗ケ島の地に移住し現在に至る・・・)
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切った幹や枝は細かく裁断し、太い物に付いては友人宅の薪として利用をお願いしているので、薪置場迄軽トラで運んでいます。
朝の内はそんな作業をやっていましたが、今朝は殊の外冷たく手がカジカンデ仕事にならず一旦切り上げ、他の作業を・・・
旅館の敷地内に以前隣家の解体で出た古材を貰い受け、野積みにし、ブルーシートで覆ったままま・・・少々見た目が・・・
他に移動をと考えたのですが・・・大変な作業になるので、古材の上に屋根を掛ける事にし、その作業も併せて、ここ数日やっておりました、しかし、空模様が・・・雪が降りそうな雲行きだったので午後一でパワーコメリに行きトタンを購入し、何とか暗くなる前に仕上げました。
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今朝の天気報道も最強寒波が襲来すると・・・コタツの猫になるしか・・・この言葉も死語かな?(猫はコタツで丸くなる)
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いずれにしても日々こんな感じで無為に過ごしている?・・・・やらなければならない事が山積していると言うのにです・・・
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残りの人生もあと・・・何れにしてもそれで終わりになってしまうのも事実・・・それらの家例を引き継ぐ者がいない以上・・・
でもそんな事を考えても鬱になるだけ・・・成る様になるだけと諦めるしか有りませんね・・・
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壊して部材を取ったり、焼却したり・・・もう腹一杯状態ですが、欲張りなもので・・・ついつい手を出してしまい・・・
昨年まではこれらの品物の多くが中国やフィリピン方面に輸出されていたのですが・・・かの地の景気の影響か?
中国人のバイヤーも手を出さなくなり・・・私の手に・・・時には宝の山に???
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過日、お泊りの折の会話の中で、私が以前伊勢崎市内で催されていた上州会と呼ばれる骨董市で館林の骨董商から購入した小川和紙の束の事でした。私は家に有る大量の古文書の修理補修の為に裏打ち用の和紙を集めておりました。
現在漉かれている裏打ち用の和紙は高額なので中々使いきれず、古い和紙を骨董市を通して手に入れておりました。
実は数十年前に蔵に泥棒が何度となく入り、多くの物が盗まれました。
その折、警察の方から、東宮さんから盗まれた物がOO市の骨董屋で売られているかもと教えられました。そんな経緯があり、子供の頃から古い物に趣味を持っていた関係と、偶然知り合いになった骨董商の方がその業界では有名な方でして、
そんな関係で深入り・・・骨董商の許可書をとり、プロ専門のオークションに出入りし盗まれた品々を追ったりしていました。
そんな折、知り合いになった館林の骨董商OOさんから桐生の廃業した織物工場から仕入れた紙が有るがどうですかと声を掛けられました。何でも風船爆弾に使われた紙との事で、束の上に掛けられた包装紙には戦時統制品と印字されたいました。
薄くて裏打ち用には最適なので、かなり高額な金額を提示されましたが購入しました。
その話が・・・一條先生との・・・
実は現物を探しているのですが、コロナ前かな?どこかに片付け・・・行方不明になっております。
真剣に探しているのですが,余りにも多くの物が有り過ぎ・・・何とか探し出しますので・・・お許しを・・・
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昔はこんな感じで隣近所の方々に助けてもらい田植えや稲刈をやったものですが往時の面影は機械化と共に消えてしまいました。
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車を停めてパチリ・パチリ
久しく眺めておりましたが、そのうちゆっくり起き上がり去って行きました。
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同席の仲間も72歳から〜81歳、欠席の方は私より10歳年上・・・仲間との会話も終活の話が端々に・・・いやいや主題になりだして来ました。
今日は歯医者に・・・入れ歯が欠けてしまい・・・先生は女房のいとこ・・・
今晩は・・・友人の車に同乗し市内の会場へ・・・何かしらの用事が目白押し・・・
よわい77歳・・・仲間との会話も終活の話が端々に・・・いやいや主題になりだして来ました。
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来週ぐらいまで見られるかも??
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実は今日もこれと同じ位大きなテーブルを頂戴して来ましたが・・・置くところが・・・。
今回も軽トラ1台分・・・・色々な物を・・・
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どれも重く一人では動かせない様な代物なんですが・・・頂ける物はノーと言わない性格でして・・・
余りにも色々な物が有り過ぎ、置場に困るほどに・・・何とか片付けないと・・・それと利用方法を・・・
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1段目は和菓子のセットで今回は暖かそうなシャツとカーデガン&図書券を送って貰いました。
婿の勤務先の製品です。
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先日も橋本のママと体調の事が心配と話したばかり・・・
でもこの記事を読んで取り敢えず安堵
明日にでもデイリー新潮を購入に行って来ます!
配信
明るく陽気な歌唱スタイル。聞くだけでなく見るのも楽しめるステージだった(1949年)
その天真爛漫な明るさに、どれだけ多くの国民が救われたことでしょう。敗戦による暗い世相を吹き飛ばした「東京ブギウギ」を歌った笠置シヅ子(1914〜1985)。NHKの朝ドラのモデルとして改めて注目が集まっています。
朝日新聞編集委員・小泉信一さん
が様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今回は「ブギの女王」として知られた彼女の知られざる横顔に迫ります。
配信
実は「東京ブギウギ」発売の前年、笠置に悲劇が襲った。恋人の子を出産するが、その直前、恋人が病気で急逝したのである。シングルマザーとして生きる決意を固めた笠置。「東京ブギウギ」は、そんな笠置へのエールを込めて服部が作った歌でもあった。作詞は服部が戦時中に上海で知り合ったジャーナリストの鈴木勝(1916〜1971)。仏教哲学者の鈴木大拙(1870〜1966)の息子である。 「東京ブギウギ」は多くの人がカバーした。が、やっぱり迫力では笠置にかなわない。服部の自伝「ぼくの音楽人生」(日本文芸社)によると、この歌のヒットによって《 敗戦の悲嘆に沈むわれわれ日本人の明日への力強い活力》につながってほしいという願いが根底に流れていた。 ところで1956(昭和31)年、笠置は歌手廃業を宣言する。ブギの人気が下火になってきただけでなく、自らの体が太ってきたことが理由だったらしい。笠置の歌は踊りと切り離せない。踊れない歌手はもはや「ブギの女王」といえなくなる。 服部は笠置のことを「常に妥協を許さない厳しい人」と称したが、一度こうと決めたら切り替えは速く、しかも頑固だ。その発言通り、同年12月31日、第7回NHK紅白歌合戦に出場して「ヘイヘイ・ブギー」を歌い、笠置は華やかな音楽界のスポットライトから静かにフェードアウトした。 翌1957(昭和32)年、笠置は映画会社やテレビ局を訪れ、「これまでの歌手・笠置シヅ子のギャラではなく、これからは新人女優のギャラで使ってください」と挨拶して回った。ギャラのランクを自ら下げてくれと頼んだ芸能人なんて過去にいただろうか。 「ブギの女王」として君臨した過去の栄光にすがることなく、常に前向きで溌剌とした笠置の姿が目に浮かぶ。気さくな長屋のおばさんのような笑顔や「大阪のおばちゃん」的キャラクターを生かし、映画やテレビに出演。女優としての活動も始めた。 私が懐かしく思うのは、TBS系の歌番組「家族そろって歌合戦」(1966〜1980)の審査員の笠置である。番組は13年間も続いたが、いつも笑顔を絶やさなかった。勝ち残った人をほめるより、敗れた人に「惜しいなあ。惜しかった。またいらっしゃい」と声をかけることが多かった。まさに人情味のある審査員だった。 一方、戦前・戦後のスター歌手たちが一堂に会し、往年のヒット曲を歌う「懐メロ番組」には出演しなかった。何度もラブコールを受けたのだろうが、断り続けた。「その潔さこそ笠置シヅ子であり、彼女の生き方だった」。新著「笠置シヅ子 ブギウギ伝説」(興陽館)を出した娯楽映画研究家の佐藤利明(60)はそう語る。 笠置は1985(昭和60)年3月30日、卵巣がんのため東京都内の病院で息を引き取った。本名・亀井静子。享年70。最初に乳がんが発覚したのは14年前。1883(昭和58)年には卵巣がんの手術をした。あの明るい笑顔の影で、病と闘っていたのである。 次回はアクションから文芸作品まで幅広いジャンルで活躍した俳優・松田優作(1950〜1989)。39歳で旅立って34年になるが、その人気は衰えない。死と隣り合わせで生きてきた男の原風景とは。
小泉信一(こいずみ・しんいち) 朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。 デイリー新潮編集部
]]>その日、女房の姪がケーキを買って来てくれ、女房と3人でいただく事になった。
まさか喜寿を迎える事が出来るとは考えても見なかった。
この先は余禄であろうが、あと何年生き永らえる事が出来るのかは・・・
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隙間だらけの家だから、家の廊下を風が活きよい良く吹き抜けているので飛ばされそうだ!
本当にオンボロ湯宿である事を自ら体感して呆れている・・・
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