赤城山 南麓 宮城地区 ●よもやま話「お帰り道祖神顛末記」

 

006年08月31日

●よもやま話「お帰り道祖神顛末記」

 昭和59年頃だったと思う。知り合いの旧北群馬郡子持村在住の三原宗作(景宗)さんが、日本石仏協会群馬県支部編「上州路 道祖神百選」(高崎・あさお社発行)と言う本を愛車のスクーターに跨り、持参して下さった。三原さんは、群馬県の石造文化財の調査委員や多くの文化財関連の役職を兼務している在野の研究者であった。三原さんの寄稿した石仏の写真や文が数点掲載されていた。この本を読んでいたら、103ページに「(69)運命放浪」と題された大きな双体道祖神の写真が掲載されていた。

193ページにはその石仏の説明文が、
 (69)運命放浪  勢多郡宮城村鼻毛石
「人間とは同じような着物をきて、同じような姿態を示している道祖神ほど親しみのある神様はない。この像は以前、宮城村鼻毛石の路傍にあったが、昭和四十年頃より所在不明となり、数奇な運命の果てに、前橋市細井小学校近くの小林繁夫さん宅で、毎日、香と水をあげられて手厚く祀られている。こういう姿は美しい。お高祖頭巾で有名な、金剛寺のものより十年許り後の文化元年の作である。金剛寺のものは袖の外で手をにぎっているが、これは袖の中で手をにぎっているポーズ。上部が欠けているが二神を少し横向きにし、無駄の線がない傑作である。愛し合う男女の人目をしのんでの逢いひきといった図である。あまりにも美しい彫り故に尼僧の相愛像とも言われているが、スッキリした彫りの中で人間臭さのある道祖神である。お高祖頭巾の道祖神は、粕川にも二体あるが、どうしてこのような道祖神を作ったのであろうか。しかし、石は語らない。(平野 勝司)」

 この本のお陰で、盗まれた道祖神の所在が判明…。直ぐ、大胡署に相談…。しかし、時効だから返還請求は無理!!との返事であった。そこで、私は、所有者の小林さん宅を訪問する事に。小林さんは私を快く迎えて下さった。お話を伺ったところ、小林さんも石仏に大変興味をお持ちの方で造詣も深かった。この石仏のお話を伺った所、小林さんと縁のある方が、鼻毛石から持ち出したらしいとの事。しかし、仏罰??であろう、少しして亡くなってしまったので、私が引き取り、庭先に安置、毎日、線香とお水を手向けて供養しているとのお話でありました。そこで、私は出来うる事ならば、元の場所に返還してもらえないか、とお話ししたところ、快く了解して下さった。
 その返事をもって、故上野丑之助翁(宮城村文化財調査委員長)に相談。翁はあり難く頂戴しよう。ついては小林さんをお招きして返還・安置の式典をしようとの結論に達しました。再度盗難に遭わないよう「覆い屋」を木村大工さんに依頼し、常時施錠する事としました。小林さん、墓地の所有者の滝沢家の方々、教育委員会の職員の方々、文化財調査委員会の方々に出席してもらい、神主さんの御祓いで厳かに式典を進めることが出来ました。そして、上野翁が「お帰り道祖神」と命名したのです。

[お帰り道祖神]
okaeri060829-07.jpg

[返還・安置の式典当時の写真]
okaeri_tomiya_01.jpgokaeri_tomiya_02.jpg