赤城山南麓の名主屋敷 ・・・農地解放で没落したままの荒れ果てた名主屋敷

その昔、我が一門は宇都宮氏の籏の下で・・・その後、戦に敗れ・・・足尾山中に逃込み・・・

黒川郷の三ケ郷の砦を根城に地侍の頭領の一人として活躍・・・その後・・・花輪の里で修験の寺を・・・徳川の世になり家督を継ぐ事が許されず、弟に家督を譲り苗ケ島の地へ移り住み400年・・・過ぐる400年間、出た家との交流は今に続く・・・

この400年、栄枯盛衰を繰り返し・・・幕末頃には借財が3000両・・・横浜開港で財を成した桐生の織物業の娘を嫁に迎え、

義父から借りた資金を運用し再起・・・・死後13年・・・敗戦、農地解放により没落・・・そして没落のまま今に至る。